1歳になりました。
飼い主のわしらに牙をむいて威嚇しまくり、
公園の象とかカバの椅子?に吠えまくり、乳母車に怯え、
己のうんちに吠え、排水溝に向かって吠え、
病院の診察台の上でおしっこだけでなくうんちまで漏らし、
トラックの轟音にびっくりして志村けんのように尻もちをつき、
比治山のネコたんにシャーシャー言われながらネコパンチを食らってシッポを巻き、
冬の猿猴川に二回もザブンと落ち、
黄門様から糸くずでぶらさがったうんちにパニックを起こし、
一歳になったというのにビビリションウレションじゃーじゃー出し放題。
(どっかで読んだ気がする文章だって?気のせいですよ、きっと。)
先日はドロドロの血便が出てびっくり、慌てて動物病院で血液検査したり(異常なし。)、
近所のスーパーまで聞こえてきたほどの、この世の終わりのような断末魔が聞こえてきて、
慌てて帰って見てみたらブルブル震えとって、右手の指の股を負傷して出血しとったり、
(買い物中で不在だったため、原因は不明。たぶん、ワイヤーネットに引っ掻けた?)
(その晩はショック状態でメシが食えず。たったあれっぽっちの傷で・・・。)
いろーんなことがあったり、いろーんなところへお出掛けしたりした万年栄える幸福の王子さま、
改め、
ちゃぶ台の似合う昭和のヤンキー・ぶっちっちが、本日満1歳になりました。

“もう1歳。”、なのか。
“まだ1歳。”、なのか。
でも、10年だか15年だかの寿命のうちの1年がもう終わったのかと思うと、
なんだかとってもおセンチになってしまいます・・・。
えー、なんだかシメっぽくなってしまったので、
気分転換にわしのうんちマイスターっぷりを動画でお送りしたいと思うのですが、
わし、どうにもこうにも「モザイクをかける。」というのが大嫌いな性分ですので、
ぶっちのうんちっちが丸見えです。閲覧猛烈注意です。
丸見えに抵抗感があるかたはここでシャーナラ!
公園の象とかカバの椅子?に吠えまくり、乳母車に怯え、
己のうんちに吠え、排水溝に向かって吠え、
病院の診察台の上でおしっこだけでなくうんちまで漏らし、
トラックの轟音にびっくりして志村けんのように尻もちをつき、
比治山のネコたんにシャーシャー言われながらネコパンチを食らってシッポを巻き、
冬の猿猴川に二回もザブンと落ち、
黄門様から糸くずでぶらさがったうんちにパニックを起こし、
一歳になったというのにビビリションウレションじゃーじゃー出し放題。
(どっかで読んだ気がする文章だって?気のせいですよ、きっと。)
先日はドロドロの血便が出てびっくり、慌てて動物病院で血液検査したり(異常なし。)、
近所のスーパーまで聞こえてきたほどの、この世の終わりのような断末魔が聞こえてきて、
慌てて帰って見てみたらブルブル震えとって、右手の指の股を負傷して出血しとったり、
(買い物中で不在だったため、原因は不明。たぶん、ワイヤーネットに引っ掻けた?)
(その晩はショック状態でメシが食えず。たったあれっぽっちの傷で・・・。)
いろーんなことがあったり、いろーんなところへお出掛けしたりした万年栄える幸福の王子さま、
改め、
ちゃぶ台の似合う昭和のヤンキー・ぶっちっちが、本日満1歳になりました。

“もう1歳。”、なのか。
“まだ1歳。”、なのか。
でも、10年だか15年だかの寿命のうちの1年がもう終わったのかと思うと、
なんだかとってもおセンチになってしまいます・・・。
えー、なんだかシメっぽくなってしまったので、
気分転換にわしのうんちマイスターっぷりを動画でお送りしたいと思うのですが、
わし、どうにもこうにも「モザイクをかける。」というのが大嫌いな性分ですので、
ぶっちのうんちっちが丸見えです。閲覧猛烈注意です。
丸見えに抵抗感があるかたはここでシャーナラ!
あ、髪切った?(タモさん風に)
イブファーレのお世話になる日も近いかもしれないと、大量の抜け毛を見つめる日々。白いものも、いっそのことヒトオモイに入れ替わってくれれば大阪のおばちゃんのように潔い紫色に染めるものを、それもまだまだ先の話。はて、最後に美容院に行ったのはいつだっけか。え?ぼちぼち1年?昨日のことのような気もするし、5年ほど前のことのような気もする。
禿しい抜け毛にストップをかける意味でも、髪を切ることにした。しかしわしが住む国で美容院に行くつもりはさらさらない。後悔するのは100%わかっている。というわけで、自分で切ってみた。こんなときにコピーロボットがあれば、と悔やまれるが、涙を飲んで後ろ髪はあきらめ、前髪と中髪だけをやる。まずは、前髪と中髪の毛先を7センチほど真横にばっさりいってみた。この時点では何も考えず真横で問題ない。鏡を見ると、ちょっと残念なかぐや姫がいるけれど、そこはがんばって見ない。お次はハサミを縦にして、美容師さんを真似て縦にざくざく切る。途中2回指を切り、美容師さんのワザに改めてリスペクト。ものの10分で終了した。前髪と中髪だけなのに、心までもすっきりと軽くなった。
髪を切っているとき、なんとも説明しがたいなつかしい感情が沸き起こった。
思春期という名実ともになんとも恥ずかしい時代を送っていたころ、前髪って自分で切っていたっけ。そのころの感情が、今さらこんな年になって引き出しが開いて飛び出たのである。なぜ美容院に行きたくなかったのか。それはただ単に、恥ずかしかっただけ。何もかもが恥ずかしい、そんな自意識過剰な思春期。鏡が気になるのに鏡を見ると落ち込む、何にもがんばれないのにいっちょまえのレジスタンスばかりが膨らんでいたあの頃。誰にも干渉されない大人に早くなりたいと日々鬱々としていた自分。そんなことを、洗面台に落ちた自分の髪を見て思い出した。
1年先の自分がどこで何をしているか、たった数年前までまるでわからなかった。しかし今は1年後の自分がなんとなく想像できる。何かを得るには何かを失う覚悟がないといけないということは昔からわかっていた。失ったものよりも大きな何かが今の自分の手に入っているだろうか。まだ見ぬものを失うことを恐れていただけなのであれば、二手に分かれた人生の分かれ道での自分の選択を無理やり肯定するしかない。そして肯定した自分に後悔しないようにするには、分かれ道での自分の判断力を養っていくしかない。人生は、永遠に続く選択の連続なのだから。

髪を切る前に新聞紙を敷くか敷かないかで迷って結局敷かなかった自分の判断は、明らかに間違っていたと言えよう。
