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大人の女三人がぐだぐだ

発作性上室性頻拍。~退院後のあれこれやお金のこと。~

早いもので、カテーテルアブレーションを受けてから3週間が経過しました。

圧迫止血のためのガムテープみたいなん貼っとった腰回りや、

心電図の電極?なんかねっちょりしとるやつ?を貼っとったところ、

点滴やおぴっこカテーテルを固定するために貼っとったテープのところが、

すんごいかぶれて皮膚がボロボロになっとったんですが、それもやっとこ治ってきました。

右足付け根の内出血のほうはまだまだ消えておりません。

一ヶ月くらいでキレイに治るって聞いとったけど、もう数週間はかかりそうかな?

手術の一週間後の内出血の様子。

中年おばちゃんの下半身なんて見たくないしとはクリック禁止。

アップ。

中年おばちゃんの太ももなんて見せんじゃねーよと思うしとはクリック禁止。

ちなみに、じぶんのカラダの好きなところはニーキャップです。すんごいでっぱっとる。


ときどき、

発作が起こる直前の動悸みたいなんが一瞬あって焦ることがあるけど、でも再発には至っておりません。

まあでも執刀医が再発の可能性はほぼゼロって言いよったけ、きっとだいじょぶでしょう。


洗濯物を干しよって、ポロッと落ちた靴下をサッとしゃがんで拾うとき。

足元が悪いところを歩きよって、踏み外さんように慎重になっとるとき。

「あ、そういえば、もう発作の心配はせんでええんじゃった。」とハタと気づき、

自覚はなかったけど、わりと発作に支配されて生活しとったんだなあ、なんて思ってみたり。


入院する前に、持参すると便利なものを調べようってちょっと気になったんですが、S字フックが便利!

「すっぴん顔を隠すためにマスクは必須!」っていう女性のかたがけっこうおられたんですけど、

なんでそこまで頑なにすっぴんを隠したいんですかね?

わし的にはすっぴんがどうのこうの言うよりも、

着倒しまくって膝んとこが出まくって洗濯しまくってヨレッヨレのパジャマで入院するほうが、

すっぴんよりもよっぽど見苦しいというか、ちょっとどうかと思うんですけど。

ちょっと小奇麗なパジャマかウエストがゴムで脱いだり着たりが楽チンな普段着じゃだめなんですかね?

いくら病院とは言え家じゃないんじゃから、個人的にはヨレッヨレパジャマはナシだと思います。


しかし不思議なもんで、同じ症状で同じ手術を受けとるのに、三泊四日のかたがおられたり、

さらには四泊五日のかたもおられたりしてわしは本気でびつくりしました。

わし的には一泊二日でもえかったんじゃないかと思うとるんですが、

4日も5日も入院されたかたって、いったい、なにしてんの・・・?


さて、今回はお金のお話です。

みなさま、 高額療養費制度ってご存知ですよね?

一ヶ月間(一日から月末まで)に同一の医療機関で支払った金額が自己負担限度額を超えた場合、

その超えた金額分はあとから払い戻される、

もしくは、

70歳未満の方で医療費が高額になることが事前にわかっとる場合には、

限度額適用認定証を提示すると支払いは自己負担限度額だけですむ、という制度なんですが、

では、

この制度の落とし穴、“月をまたいで入院・手術をすると損をする”ってご存知でした?

どこがどのように損なのか、月をまたいで入院・手術をしてもうたわしの場合で計算してみましょう。
総医療費自己負担額
1月31日918.440円  (高額療養費対象内)86.614円
2月1日~2日  78.630円(高額療養費対象外、国保で3割負担)23.590円
合計997.070円(わしが実際に支払った金額、食事代・個室差額代を除く)110.204円

こちらは↓もしもわしが月をまたがずに入院・手術をした場合の計算です。
総医療費自己負担額
同月内、一日から月末までの入院・手術の場合997.070円(全額高額療養費対象内)87.400円
一般所得者の計算式・80.100円+(総医療費-267.000円)×1%


月をまたいだ場合とまたがんかった場合を引いてみると、

110.204円 - 87.400円 = 22.804円

に、にまん、にまんにしぇんはっぴゃくよえんっ!!!

無知なわしは二万円以上も損をしてもうたのです!!!ぐやじー!


不慮の事故などで緊急を要する場合はこげなこと言うとられんけど、

そうじゃない場合は月をまたがずに入院・手術をするように日程を組んだほうがお得というわけです。

てか、この制度の同月内っていう条件、おかしくない?


というわけで、

発作性上室性頻拍についてはこれにておしまいです。


日常生活に支障が出まくりなほど発作に振り回されて悩んどるのに、

恐怖心から手術を受ける決意がでけずにこのブログに辿りついたそこのあなた、

わしの記事があなたの背中を押すことになれば、幸いです。


おわり。トルコ旅行記にもどりまーす!
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嘘のようなホントの話



前回の記事にsundayさんからコメントをいただきました。
『まむたん様は一生「自由人」かと思い、油断しておりました。』と。

わしも油断していました。
というよりも、わしの人生油断しっぱなしですが。

生まれてこのかた不自由を感じたのは、幼少の頃姉たちに布団巻きにされたときくらいですが、
今、本当の意味での「自由」になったと痛感しています。
なんせ、わしの名字「自由」になったのですから。


真ん中の足がご立派な人のような人参くん

ご立派な人参くんと遊ぶ、そんな自由な日々。




発作性上室性頻拍。~退屈、病院飯、そして退院。~

何度か回診がありつつ明けた2月1日の朝6時すぎ、
退屈、病院飯、そして退院。
仕事へ行くれんちを見送りに一階まで歩いてみました。娑婆の空気がウマイ。


トイレで踏ん張ったり歯ぁ磨いたり顔洗うたりしようったら看護師さんが飛んで来られ、

「すぱなさん、心拍が上がってますけど?どうかされました?」と聞いてきたのでびつくりしました。

わしのポンプ情報もろバレですやん。


8時、朝ごはんです。
退屈、病院飯、そして退院。
白飯がススムおかずが沢庵だけじゃったので、ネコマンマにして流し込みました。

看護師さんの回診以外はすることがなくて退屈じゃったので8階の食堂に行ってみました。
退屈、病院飯、そして退院。
コーシーが飲みたかったけど、土日祝日は営業しとりませんでした。土日祝日こそ見舞客が多いのでは!?

しかたないので自販機で紙パックのカフェオレを買うて窓際の席に座り、平和公園を眺めながらチュー。
退屈、病院飯、そして退院。
原爆ドームのアップっぷ。
退屈、病院飯、そして退院。
お昼前、執刀医と苗字がおなじメタリ子ちゃんとメールのやり取りをしようったら、

6年選手の携帯がいきなしぶっ壊れました。あぼー。


12時、お昼ごはんです。
退屈、病院飯、そして退院。
いっそ腹は減ってなかったし、カボチャはあまり好きじゃない(甘いけ。)けど、

残すのはもっと嫌いなので塩鯖に添えられとったレモンをかけてなんとか完食しました。


あまりにも退屈じゃったので売店で雑誌を買うて読み、ウトウトとうたた寝をし、

病院内は乾燥しとるせいなのか、普段はほとんど食べんのにアイスなぞ買うて食べ、

シャワーをしてもいいか聞いたらOKが出たので恐る恐るシャワーを浴び、

ウダウダとテレビを観ようったら夕方のCMはビールばっかりで拷問のようでした。


ちなみに入院することはだりにも言わんかったので、見舞客はゼロです。

さすがに同居しとるキング&クイーンには黙っとくわけにはいかんかったので言いましたが、

「でったいに来ちゃだみ!でったい!」と、見舞い禁止令を発令しといたんです。

だってよ?入院の準備をしようっただけでシクシク泣いたんっすよ?うちのクイーン。

病院のベッドで横たわるわしを見舞ったらどげなことになるか想像がつくでっしゃろ?


18時、夜ごはんです。
退屈、病院飯、そして退院。
「わーい!ハンバーグゥー!」と思ったけど、ハンバーグっつうより?粘土?っぽかったです。


病院食について味が薄いだの美味しくないだのいろいろ言われるかたがおられますが、

わし的にはふつうに美味しかったです。もともと我が家の料理は味が薄いですし。

(自分で自覚はないが、おばに我が家の料理をお裾分けすると「味がない。」とまで言う。)

しかし、三食きっちり白飯を食べたのなんて何年ぶりでそーか?

(普段は白飯は朝ごはんのときしか食べんので。)


20時半ぴったりに、仕事後に家でシャワーを浴びて部屋着に着替えたれんちが、

今度はフレスタで調達した自分の夕食+冷え冷えのビールをぶら下げて病院へやって来ました。

またもや泊まる気マンマンです。個室の差額代一日10500円じゃから元取らんとな!

うーじゃーぱーじゃー今日の出来事を喋り倒し、まむたんとフェイスタイムでお話しをし、

そろそろ寝ようかと思ったけど一日中なんもせんかったせいか、ほとんど眠れませんでした。


2月2日の朝ごはん。写真に撮る前に味噌スープをフライングしてしもうた。
退屈、病院飯、そして退院。
てか、なんかもうええ加減、白飯に飽き飽きしとったんでこり↑(+コンビニ弁)はれんちに食べさせ、

わしはれんちが買うてきてくれとったサンドウィッチを食べました。


10時ごろ執刀医が回診に来られ、退院の許可が出ました。やったー。帰るよー。
退屈、病院飯、そして退院。
次回の受診日は4月。またねー。
退屈、病院飯、そして退院。
家に帰る前にauに寄って携帯の修理見積りをして貰うたら、

消えたアドレス帳の復元は不可能、初期化に15000円って言われました。ピチ!


家に帰ってソッコーでシャワーをし、

真昼間からビールを飲みながらコンビニ弁当に飽きたと言うれんちの翌日の弁当の支度をし、

(まあ七食も食えば飽きるわな。)

こってりしたもんが食べたかったので夕方から自転車に乗ってジョリーパスタで飲み食いし、

なんとサザエさんが始まる前にコテッと就寝、そして翌日の5時まで眠りつづけたのでした。


じつはまだつづく。
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発作性上室性頻拍。~激痛のち一時ピンチな術後。~

「いたひ・・・。」

右足付け根と右鎖骨下の激痛で、

意識が深ーい眠りからもどるよりも先に言葉が出てしまい、自分の声で目が覚めました。

「痛いよねー、すぱなさん、手術は無事に終わっていま圧迫止血してるから。

痛いけど我慢してねー。ちゃんと止血しとかんと大変なことになるけんねー。」

と言われ、「ええがに済んだんじゃ。」と、ホッとしてまたすぐに眠ってしまいました。


手術台から1!2!3!でストレッチャーに移されるときにまた目が覚め、

手術室を出るときに壁掛けの時計を朦朧としながら見てみたら、

きっかり2時間後の15時40分でした。


ここから7時間にも及ぶ地獄タイムのはじまりはじまりです。

と言うのもですね、手術後は止血のために6~7時間も足を動かしちゃいけんらしく、

ベッドに横になって直立不動の絶対安静なんです。それのどこが地獄って思うじゃろ~?


個室に移動してから、また1!2!3!でベッドに移され、

(このとき、マッパだったのか?手術着がはだけたのか?ようわからんけど、

男性看護師さんもおる中でわしのおっぱいが丸出し状態だったらしく、

れんちがジェラったみたいであとでフンガフンガ言いよった。病院だっつうの。)

個室で待っとったれんちに、

「まむはんときんふとふいーんにれんわして・・・、ええがにふんら、いうへ・・・。」

と言ったあと、またすぐにスコーン!と眠ってしまいました。


このあとじゃったのか?手術後すぐだったのか?ようわからんけど、

れんちが執刀医に呼ばれて説明を受けたらしく、

・発作の原因である異常な電気信号を出す部分は一箇所だけだった

・その部分は完全に焼灼することができた

・稀に再発するかたもおられるけどすぱなさんの場合はまず再発の心配はないだろう

などを丁寧にお話してくれたそうです。

(わしがネットであれこれ調べようった中には70箇所以上も焼いたかたがおられたり、

ハイリスクな場所にあった部分を焼き切ることができんかったかたもおられたり、

根治することがでけんで再発したりする方々もそれなりにいらっしゃいました。)

(ハイリスクな場所というのは焼かにゃいけん部分と焼いちゃいけん部分が近いということで、

もしも失敗して焼いちゃいけん部分を焼いてもうたらその後はペースメーカー人生になってまうのだ。)


つぎに目が覚めたのは「食べられそうですか~?」と個室に夕食が運ばれてきた18時ごろ。

まだちょっと朦朧としとったけど喉がひってやれんかったので、

「もう大丈夫です!意識はしっかりしてます!」と言いはってストローでお茶を飲ませてもらい、

朝ごはんも昼ごはんも食べてなかったけちょっとどうかな・・・、と一瞬悩んだけど、

寝っころんだ状態でごはんを食べるということに興味があったので食べることにしました。
激痛のち一時ピンチな術後。
れんちに「あーん。」してもらいながら。(↑写真撮影・れんち。)

菜っ葉やトマトは比較的楽に飲み込むことがでけたけど、ポテトはさすがに飲み込みにくかったです。

おにぎには飲み込める自信がなかったのでれんちにあげました。米が美味い!と大喜びしようった。


その後はときどき看護師さんの回診(血圧や体温、足の甲の血管で脈を測る。)があるのみ、

ベッドに横になったままでとくにすることもないので、おニューのipad mini retinaをいじいじ。
激痛のち一時ピンチな術後。
ちなみに、いまさら感が満載ですがLINEデビューしました、わし。


シャワーを浴びるためにれんちは一旦家に戻り、わしはテレビを観たりしようったんじゃけど、

体勢を変えちゃいけんために腰が痛くなってきたのでナースコールを押したら、

本来は19時40分までしちゃいけん処置じゃったんじゃけど、

わしがあまりにも痛がるので止血しとるガムテープみたいなんを少し緩めてくれ、

腰の下にバッタオルを畳んだんを入れてくれました。

が、あんまり効果がないっつうかまるでまったく効果がなくてまたすぐに腰が痛くなり、

「何度も来てもらうん悪いなあ・・・。」と思いつつ我慢しとったんじゃけど、

例えるならば、腰がもげてしまいそうなほど、

気が狂いそうなほどの激痛で我慢どころではなくなってきたのでまたもやナースコールを押し、

痛み止めの薬を飲ませてもらい、

ほいで、右半身の下側に1メートルくらいの三角柱型のクッション(どピンク)を挟んで貰うたら、

すんごい楽になりました。


20時ごろ、こざっぱりした顔をしてコンビニで調達した自分の夕食+冷え冷えのビールをぶら下げ、

病院で酒盛りする気マンマンのれんちが戻ってきました。

翌日の仕事着とマイまくらまで持参しとってからに、泊る気マンマンです。


このとき、雲行きっつうか腹行きが怪しくなってきました。

朝も昼も食べてない状態でいきなし夜ごはんを食べたら、もしかして?とは思うとったんです。

とくにわしは食べたらすぐ!派じゃし。

ほいじゃけど、空腹に勝てんくて夜ごはんを食った結果、思った通りになってもうたんです。


ギュルギュルと痛む腹をなんとか鎮めたくて意識を違うところに持ってったり、と努力したのですが、

とうとう限界が来てしましました。モレシャンさん一歩手前です。

諦めてナースコールを押し、来てくれたずんぐりむっくりした看護師さんに、

恥を忍んで「あの、ちょっと、お腹が痛いんですけど・・・。」と申しましたところ、

すんごいイヤ面で、「大便っ!?」と言われてしまいました。わしだって我慢でけるんなら我慢したいわ!

(おんなじ手術を受けたかたのブログを読みようったら、

大部屋のおばあさんが夜中に脱糞して参ったと書いてあったのも個室にした理由じゃったんじゃけど、

まさか自分がベッドの上で脱糞する羽目になろうとは思ってもおりませんでした・・・。遠い目。

歩いてトイレに行くことはでけんので尻の下にバッタオルと洗面器のようなものを挟んでもらい、

これで出しても大丈夫!とホッとした反面、こんな状態の自分が情けなくて泣きそうな気持ちでした。

ほいじゃけど、いざ出そうと思っても、

ニンゲンっちゅう生き物はトイレ以外の場所ではそうそう出るようにはでけておらんのか、

けっきょくは出ませんでした。えかった・・・!

ふたたびナースコールを押して来てくれた看護師さんは先ほどのずんぐりむっくりの方とは違う方で、

「横になったまんまじゃおなかに力が入りにくいですし、出にくいですよね~。

また何かありましたらいつでも呼んでくださいね~。」と仰ってくださいました。まるで天使!


またもや腰が痛くなってきたけど何度も看護師さんに来てもらうのは気が引けたので、

れんちに右半身側のクッションを左半身側に変えてもらいました。


6時間後の22時40分、やっと止血のガムテープみたいなんを剥がしてもらい、

傷口を見てええがに止血がでけとるとの判断でベッドの上でのみ動いてもいい許可が出ました。

が、6時間も直立不動でおったらカラダがガッチガチやねん!になっとって、

動こうにもどうにもこうにも動けんで、体勢をゆーっくりと変えるだけでもかなり痛かったです。


さらに1時間後の23時40分。

やっと!やっと!やっと!!!個室内で歩行する許可がおり、

ソファで爆睡して大音量の大いびきをかきようるれんちの横で恐る恐るちょこちょこと歩き、

異常がなかったので点滴とおぴっこカテーテルを抜いてもらい、おぴっこバッグたっぷんたっぷんだった。

ながい、ながーい、一日が終わったのでした。


ここでクイズです。

ええがに止血できとってカテーテルを抜いてもらい、

自由に歩けるようになったわしがいちばん最初にしたことはなんだったでそーか?


つづく。
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発作性上室性頻拍。~ドッキンコ撃退手術。~

7階の個室から2階の手術室まで車いすでゴロゴロと移動し、

フルネームで名前を名乗り、

股間のブラブラが気になりつつも、恐る恐る手術台に上がって横になりました。

(なんか抜けそうな気がして歩いたり動いたりするのが怖かったけど、

実際は膀胱の中で風船を膨らませとるらしく、ちょっとやそっとじゃ抜けんらしいです。)


手術室にはたしか?5~6名の方がおられたんじゃけど、

パッと見は女性のみ(じゃったと思う。)でした。


手術着を脱いでマッパになり、

バッタオルを掛けられ、

カテーテルの先から電流を流すので腰のあたりにアースを貼り付け(アースて。わろた。)、

穏やかな口調で「これは○○のためのものですよ。」とか、

「ちょっと冷たいですよ。」などと逐一丁寧に説明してくれたり、

話しかけたりしてくれながら、(クランケの緊張を和らげるための配慮じゃと思う。)

なんやらかんやらいろいろなものを装着されました。


ほいで、

カテーテルをぶっ刺すところ(右足付け根と右鎖骨下あたり。)を消毒され、

眠っとるあいだに動いたら危ないとのことで両手両足を縛られ(正解。わしはかなり寝相が悪い。)、

バッタオルを除けて緑色の布みたいなのを掛けられ、

(いまちょっと調べてみたら“なんで緑色なのか”の理由がちゃんとあってびつくりした。)

「はい、じゃあ点滴に眠くなるお薬を入れていきますねー。」と言われました。


ちょっと経ってから、

「そろそろボーっときてきましたかー?」と聞かれたけど、ギンギンに冴えまくっとりました。


またちょっと経ってからもう一度、「眠くなってきましたー?」と聞かれたので、

「いや・・・、まったくです。」と答えたら、

「あら・・・、お酒はよく飲まれます?」と聞かれたんじゃけど、関係あるもんなん?お酒って?


で、

「じゃあもうちょっと眠くなるお薬を増やしますねー。」と言われ、

またもや「どうですかー?ボーっとしてきましたかー?」と聞かれたので、

「ん~、まだ全然。はっきりしてます。」

と答えた直後にスコーーーンッ!と意識がなくなり、深ーい眠りに落ちたのでした。あとは任す!


余談ですが、入院の流れが書いてあった紙に、

“手術中に音楽を流すことができるので希望される方は看護師にCDを渡してください。”

と書いてありました。

そりって、

マキシマムザホルモンとかでもええんかな。

執刀医の手元が狂ったりせんのんかな。


つづく。
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発作性上室性頻拍。~はじめての入院。~

ビビリのわしは、“もしも万が一”を考えて考えて考えまくって、

入院前には食べたいものを食べまくり、行きたいところへ行きまくりました。

で、

でったいに映画館で観たいと思いよった、“ゼロ・グラビティ”を観に行ったんですがね。
グラビティとゼロ・グラビティじゃ意味が真逆でねーの?
(もちろんしとりで、ですけどなにか?)

観に行ってよかったです、この映画。

すごーくながく余韻が続く映画じゃったし、

わしの手術とはそれはもうまったくでんでん当たり前に関係ないお話だったんじゃけど、

ほいじゃけど、「わしがんばる!」という気持ちになって手術への不安がちょっぴり薄らぎました。


そして迎えた1月30日。

早起きして家事を済ませてシャワーを浴び(股ぐらを念入りに洗うた。)、9時前に病院へ到着ん。

同室の方々に気を使ったり使われたりするのがイヤで個室をキボンヌしとったら、

こーんな素敵な明るくて清潔なお部屋でした。
はじめての入院。
お値段も素敵ですが。

(差額一日10500円。ただしトイレ・シャワー・洗面台・テレビ・冷蔵庫・電話・家具・貴重品入れなど完備。)
はじめての入院。
すぐに担当してくださる看護師さんが来て心電図を取り付け、アレやコレや説明してくれたあと、

ベッドに寝っ転がってぼんやりとテレビを観たりネットしたりしようったら、

10時ごろ、わしの執刀医M氏(イケメン!)が来て手術の流れを説明してくれました。
はじめての入院。
ひととおりの手術の説明とリスクの説明が終わったあと、

わしは恐る恐る、蚊が鳴くようなちっちぇー声で聞いてみました。

し、し、死亡例は、ありますか・・・?(泣きそう。)」と。


もうわしゃこの日を迎えるまで不安で不安で、

毎日毎日ネットでいろいろと調べまくったんじゃけど、

なかにはそういう情報もあったんよ、残念ながら。

ほいじゃけど、返ってきたイケメン執刀医M氏のお答えは、

「ないことはなですよ、心臓の手術ですしね。でも当院でこの手術での死亡例はゼロです。キリッ」

とドヤ顔で言いきってくれたのを聞いて心底ホッとし、

「痛みや苦痛に恐怖心があるのでしっかり目に眠れる処置をお願いします。」とお願いしました。


というのもですね、カテーテルアブレーションはふつう局部麻酔らしいんじゃけど、

ネットであれこれ調べようったら「焼くときに心臓が熱かった。」だの「造影剤で吐き気がした。」だの、

「体中を這うカテーテルが気持ち悪かった。」だの「ワザと起こした発作があまりにも苦しすぎた。」だの、

極めつけは、手術中に心停止し、電気ショックで数秒後にこの世に戻ってきただの・・・!ガクブル


あまりにも恐ろしいことばっかり書いてあったのでその不安を不整脈相談日に伝えたところ、

眠れるように処置することも可能じゃと言われたので、ソッコーでお願いし、

ほいでももしも術中に目が覚めて、またパニックになったら、と想像したら怖かったので、

濃い目で多目にドーピングすることを再度お願いしたというわけです。


すっかり安心したら腹が減ってきました。忙しくて朝食抜きじゃったし。

しかし、昼食は食べないでくださいって言われたので、

目の前でれんちがコンビニで買うてきた美味しそうなもん食べようるんを凝視しつつ、夜まで我慢です。


そのあと、看護師さんが手術室の写真が載っとるパンフレットみたいなのを持ってきてくれました。
はじめての入院。
ただでさえ緊張しとるのに、いろんな機械があっていろんな音がする手術室に入ってますます緊張し、
はじめての入院。
いきなり血圧がドカンと上がったり、ドカンと下がったりするしとがおられるらしいので、
はじめての入院。
事前にある程度、手術室の様子を知っとったほうが気持ちの準備ができるのでは、との配慮だそうです。

こり↓は術後の圧迫止血のあと、ガムテープみたいなので傷口を圧迫止血しとる股ぐらの様子です。
はじめての入院。
黒い丸線がカテーテルをぶっ刺す位置です。

(この写真では右と左、両方の足の付け根からカテーテルを入れた場合。実際はマッパです。)


11時半ごろ、女性看護師さんが持ってきてくれた手術着に着替え、

左腕に点滴をぶっ刺し、

バリカンみたいなのでじょりじょりと剃毛し(下腹がくすぐったくて腹が攣るかと思うた。)、

(術中に邪魔になるのと、ガムテープみたいなので止血後、剥がすときに毛があると激しく痛いため。)

おぴっこカテーテルを挿入しました。お若い看護師さんにこげなことまでさせてもうて、なんかすいません・・・。

(これもかなり痛かったという情報が多かったですが、わしはちょっとチクっとするくらいでした。)


手術の準備をするときにすこし緊張しはじめたけど、

けど、その後、待てど暮らせど何の連絡もなかったのでそのあいだにすっかり気がゆるゆるに緩み、

13時40分ごろ、看護師さんが用意してくれた車いすで個室を出て手術室へ向かうときには、

「あー、待ちくたびれた!やっとか!」という気持ちになっており、

個室で待つように言われとったれんちに「ばいばいきーん!」と手を振って手術室へ向かったのでした。

股間から管をブラブラさせながら。


つづく。
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発作性上室性頻拍。~手術を決意したきっかけ。~

いつもなら数分で、長くても1~2時間で自然に、

始まるときと同じように突発的に治まるドッキンコが7時間も止まらず、

はじめて近所の内科に駆け込んだのはいまから約5年前


そのとき、治療のあとで先生が「こんな方法で治せますよ。」ってお話してくれたんですがね。

その方法っつうのが、

足の付け根にカテーテルをぶっ刺して血管に挿入し心臓まで到達させ、

心臓に電流を流してワザと発作を起こさせて異常な電気信号を出す部分を特定し、

その部分をジューっと“焼灼する”という世にも恐ろしいお話だったので、

ソッコーで記憶から抹殺することにしたのでした。

発作によって死に至ることはないって聞いて安心したし、

なにより、

当時はまだ数年に一度くらいの頻度でしか発作は起こりようらんかったし。


ほいじゃけど最近、発作の回数が急激に増えてきて(加齢のせいらしい。)、

ほんでもって、自然に止まることはほぼなくなって、

毎回毎回病院に行って止めてもらうという煩わしさに嫌気がさしてきたころ、

1月13日の午前中、またもやドッキンコが始まったんです。


祝日じゃったんで近所のかかりつけ内科医の緊急電話番号に連絡し、(;´Д`)ハァハァ

去年、夜間に診てもらった総合病院への連絡をお願いし、(;´Д`)ハァハァ

「若干いつもよりドキドキが激しい?しかもちょっと貧血っぽくなってきたぽ?」

と思いながらタクシーを呼んで這うように病院へ駆け込み、(;´Д`)ハァハァ

心電図をつけていつも通りにドッキンコを止める投薬をしてもらったんじゃけど、

(血管内を薬がピューッと走るんがわかっておもろかった。)

なぜか発作は治まらず???(;´Д`)ハァハァ

しかも、いつもと違ってものすごーく気分が悪くなり、((;゚Д゚)ガクガクブルブル

そして、「これで治まらんかったらつぎは電気ショックね。」と言われながら二投薬目を注入。ヒィェェ!!(゚ロ゚ノ)ノ

(「ちょとまてちょとまてこあいこあいこあいーッ!」と思ったものの、あまりにも恐ろしくて声にならず。)

またもやなんとも言えん、なんかこう、ザワザワとしたような、

本能が危険を察知しとるが如くのものすごい不快感とともに、

一瞬、

発作時よりも激しく心臓がドコドコドコドコーッ!!!と、

爆発しそうなほど連打しはじめた(ような気がした)と思ったら、

一瞬、

ウッ!(マンボッ!)と心臓が止まった(ような気がして)恐怖のあまり失神しそうになったあと、

ようやくドッキンコが治まって、普通の心拍に戻ったのでした。


このとき、

カテーテルアブレーションしゅじゅちゅを受ける恐ろしさより、

なにがどうでどうなってんだ!な恐怖体験の恐ろしさのほうが上回ったので(メーター振り切ったでよ。)、

その場で不整脈相談日をキメて帰宅し、

1月16日に病院へ行ってソッコーで二泊三日の入院と言う名の旅の日程をキメたのでした。
カテアブ。
ニンゲン本体が二重波線で省略されとる。笑


つか、

この日の体験があまりにも恐ろしかったので家に帰ってネットで調べてみたら、

そう珍しいことではないって言うか、わりとよくあることだったり普通の処置だったみたいです。

ただ単にわしがかなりのビビりだということだったみたいでして。


てか、

こんな真面目でお堅いタイトルってブログをはじめて丸6年ではじめてかもです。


つづく。
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今日のぐだぐだ

夜中に目が覚めて、何時だろう?とケータイを持ったら指があたってWhatsAppが開いた。すぐに閉じたその後すぐに「まだ起きているのか。もう少しおやすみ。」と夫からメッセージが来た。やだなに?きょわい!リモートストーカー??!!(まむし)

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